季語 日めくりエッセイ

木ノ内博道 俳句の季語に触発された日々の想い

麦の秋風(むぎのあきかぜ)

正月頃に麦踏をしていたのが、もうすっかり色づいて、刈り入れの季節である。 子ども時代、麦畑は背が高いから隠れやすい。かくれんぼで畝に隠れようとしたら、鶏が何かに食べられた後で、羽が散らかっていたのを思い出す。母が麦を刈っていたら、畝に平行に…

蜘蛛の囲(くものい)

立夏も過ぎて俳句の世界でも夏の季語を使う季節になった。初夏の季語に、蜘蛛の囲がある。蜘蛛の巣に、朝、水滴がつく。 虹色に蜘蛛の囲懸かる雨上がり 上原花宵

蜃気楼(しんきろう)

密度の異なる大気のなかで光が屈折して地上や水上でものが浮き上がって見えたり逆さまに見えたりする現象。光は通常直進するが、密度の異なる空気があるとより密度の高い冷たい空気のほうに進む性質がある。蜃(大ハマグリ)が気を吐いて楼閣を描くと考えら…

鷹化して鳩となる

獰猛な鷹が春の麗らかな陽気で鳩(カッコウとも)と化すこと。人間もこの時期、穏やかになる。 新鳩より鷹気を出して憎まれな 一茶

菜の花蝶と化す

千葉県、房総の方では12月の頃から菜の花が咲いている。しかし私の住む市川あたりでは特別早く咲くとも思われない。蝶が飛ぶころに菜の花が咲く。花が黄色い蝶になったかと見まがう。実際に菜の花の周りに蝶が飛んでいるのかも知れない。 しかし面倒な季語だ…

田鼠化して鶉と為る(でんそかしてうづらとなる)

もぐらがうづらになるという実際にはありえないことが春の季語になっている。春になると地中のものが地上に出てきて活動するということだろうか。 モグラもウズラも見ない生活が続いている。 田に老いて鶉顔なる鼠かな 佐々木北涯

蛙の目借り時(かわずのめかりどき)

蛙が鳴くころの、すぐ眠くなる時期のこと。蛙に目を借りられるからとも、蛙が雌を求める「妻狩(めか)り」から転じたものとも言われている。 私は乗り物に乗ると眠くなる。バスで、もう少しで我が家の停留所だというあたりが一番眠い。そう、学校も眠かった…

蕨狩り(わらびがり)

野山に蕨の芽が出るようになると、散歩がてら蕨狩りをする人が多くなる。採った蕨の芽は食用にする。農家の副収入になることもある。 わが採りし一握蕨わがゆがく 兼巻旦流子

雲雀笛(ひばりぶえ)

雲雀の鳴き声に似せて吹く笛。雲雀を捕まえるために使うこともあるが、子どもの遊びとして使う玩具の場合もある。ハイドンだったか、小学生の頃、音楽部で吹くこともあった。 雲上の管絃講かひばり笛 良重

山笑う(やまわらう)

山の木々が芽吹くことを言う。我が家の方は一面の田所で、山なみが遠く、木の芽吹きまでは感じらない。冷たかった空気が変わってきた、その感じを知るくらいだった。山笑うは、近くに山のある景色だろう。 山が近くにある人たちの暮らしが読まれるといい。 …

青ぬた(あおぬた)

辞書を引くと、芥子菜をすりつぶし、酒かす・味噌・酢を加えてすり合わせ、魚や野菜をあえたもの。また、ゆでた芥子菜や浅葱を酢味噌であえたものとある。子どもの頃は食べなかったと思う。いや、酢味噌和えとして食べていたか。 青饅やときには酒をつがれも…

水菜(みずな)

サラダよし、鍋もよし。炒め物も漬物も。いろいろな食べ方があるようだが、サラダで食べることが多い。多くは貰い物。 いつの間に水菜の泥が頬つぺたに 岸本尚毅

雪解(ゆきげ)

雪が解けること。いうまでもなく雪の解け出すのは場所によって異なる。5月の連休に秋田を旅した時には、野原一面、雪解の水が流れていた。我が家の方では雪が降らないので、雪解の喜びを感じたことがない。 つぶやきかあらずしたたる雪解水 加藤秋邨

菠薐草(ほうれんそう)

二月のほうれん草は甘い。収穫時にわざわざ冷温にさらすこともある。そうすると甘さが増すのだという。 子どもの頃は気にも留めず寒い時に食べたものだ。美味しいという思い出も特にない。他の野菜のないシーズンなので食べるとかと思っていたが、暖かくなる…

白魚(しらうお)

シラウオとシロウオは種類が違うが、多くは混同している。シラウオは水から出るとすぐ死んでしまうので、踊り食いなどはシロウオの方だろう。 踊り食いを呑み屋さんで食べたことがあるが、とくになにかを味わうという感じはしない。踊り食いは自宅で食べるよ…

鶯(うぐいす)

この時期の鶯はまだ鳴き方が下手だったりする。竹藪のなかで声がするがなかなか見えない。子どもの頃は気づかなかったが、ここ20年ほどは、朝の鶯の声で目覚めたりする。 鶯や人遠ければ窓に恋ふ 飯田蛇笏

薄氷(うすごおり)

春の季語、薄氷は、剃刀のような切れ味の氷である。しかし、そうしたシャープさとともに、春を思わせる氷でもある。 昨日見たテレビで、年々暖冬になりシベリアの川の氷が薄くなってきていると報じていた。25センチの氷では、2000頭もの羊を向こう岸に渡らせ…

雛菊(ひなぎく)

子どもの頃、庭に雛菊が植わっていた。雛菊は花壇の前のほうで、徐々に背丈のある花が植えられていた。だから踏みそうにもなるし、それだけ愛着もあった。 近年は庭に植えることもないし、近隣の庭にも見ない。 売れ残りゐし雛菊の鉢を買ふ 湯川雅

梅見(うめみ)

桜の季節は暖かいが、梅見の頃はまだ寒い。それでも梅見と言って散歩したがるのは、やはり暖かさの片鱗なりとも味わいたいからである。 子どもの頃も、梅見で盛り上がることはなかったように思う。 梅見婆はしよれる裾の派手模様 星野立子

春菊(しゅんぎく)

ほろ苦い春菊。子どもの頃、春菊の天ぷらがお弁当に入っていた。子どもの頃はあの苦さが苦手だった。「お弁当に春菊は嫌だなあ」と母に言ったことがある。そんな注文を付けたことは春菊くらいしかない。母は「ほう、そうか」と言って笑った。 春菊の思い出は…

針供養(はりくよう)

今日は針供養の日なのだとか。折れたり曲がったりした針を神社にもっていくが、自分の家で豆腐に刺したりもする。働いてもらった針に休んでもらうために、柔らかいものに刺すとも言われている。 老妻のけふ針供養と言ひしのみ 山口青邨

二月礼者(にがつれいしゃ)

事情があって正月にあいさつできなかった人がやってくる。客商売などがあるだろう。 子どもの頃、我が家は農家だったから、二月礼者はなかった。 やや地味に二月礼者の装へり 大久保橙青

下萌え(したもえ)

庭先や野、河原などに枯草に交じって新しい草の芽が見え始める。寒いと思いながら、確実に春がやってきていると思う。 何草か萌え何草か枯れしまま 高野素十

猫の恋(ねこのこい)

恋猫、うかれ猫、春の猫、猫の妻、孕み猫など、猫の恋に関係する季語は多い。 昼夜を問わず鳴きたてる、風雨にも怯えず。早春を猫の恋で知る、ということもあるだろう。 恋猫に物影深き港町 飯島晴子

末黒の芒(すぐろのすすき)

焼野の芒ともいう。草を焼いた後の黒くなった野原に萌え出た芒のこと。先端が焼かれて黒くなったりしている。万葉以来多くの歌になっている。 草木が焼けて、川の流れているのを知る、など、発見もある。 末黒野や鮒のにほひの川ながれ 篠田悌二郎

春待つ(はるまつ)

待春ともいう。この季節になってくると、春が待ち遠しくなる。 ところが、雪の便りも聞かれる。関東周辺はむしろこれから雪が降ったりする。だから一層、春待つという季語で俳句を作ってみたくなる。 たらの木も春待つものゝ一つかな 高野素十

柊挿す(ひいらぎさす)

古くは宮中の門に節分の夜、柊を挿し、なよしの頭を挿した。なよしは出世魚で、その名吉の意をとったようだ。江戸時代から庶民の習俗となって、鰯の頭を使うところもある。 子どもの頃、我が家でも柊を挿した。玄関の脇の戸袋はまだよいとして、裏庭の戸にも…

冬薔薇(ふゆそうび)

冬に咲く薔薇を言う。寒薔薇、冬ばら、ともいう。 シーズンの薔薇に比べて一輪のみ小さく咲く。薔薇の華やかさとは、そのおもむきもまた違う。 一輪咲くのに、ずいぶんと日数がかかる。時には莟のまま咲かずに枯れてしまうこともある。莟が咲くためにそんな…

寒椿(かんつばき)

冬椿ともいう。ほんらい春の花だが、日当たりのいいところで冬に咲くものをいう。常盤木のなかに一点の赤を点じて、凛としたところがある。 観音の肩暖むる寒椿 橋閒石

日脚伸ぶ(ひあしのぶ)

1月も下旬になると日脚が伸びてくるのがはっきり分かる。 子どもの頃、朝食を食べて、一家で縁側に集まる。なんということもなかったが、楽しかった。冬場、それほど追われるような仕事もなかったのだろう。母が、白髪を抜いてくれと頼む。まだ白髪が珍しい…