季語 日めくりエッセイ

木ノ内博道 俳句の季語に触発された日々の想い

火鉢(ひばち)

昨日、我が家のことを書いた。続きを書こう。
農家にはコタツはあるが火鉢はない。ところが我が家の座敷には火鉢があった。祖父の兄弟が内縁の女性とともに疎開してきて、そのまま我が家の座敷に死ぬまで居座った。だから家のなかで、座敷の一部屋だけは我が家とは呼べなかった。このおじいちゃんとおばあちゃん、田舎にしては珍しい人だった。床の間の柱に逆立ちをしてヨガをやったり、エスペラントを勉強していたり、村で唯一日経新聞を読んでいる。おばあちゃんの方は茶道をたしなむ。熱心な仏教信者で、意味の分からないオンアボギャアベイルシャノオと陀羅尼を仏前でとなえる。
一間きりの部屋で生活していて、呼ばれることがある。とっておいたお菓子などをくれたが、火鉢にあたりながら正座をしていただく。締め切った部屋では、火鉢ひとつでもかなり暖かい。鉄瓶がかかっていて、かすかな音を立てている。寝るときには、熾きた炭を埋めて翌朝までもたす。そう、私が人生の後半、尺八に凝ったのも、このおじいちゃんの影響があったからだろう。
更る夜や火鉢にのこる炭がしら 壺中