季語 日めくりエッセイ

木ノ内博道 俳句の季語に触発された日々の想い

2020-09-01から1ヶ月間の記事一覧

赤い羽根(あかいはね)

毎年10月に赤い羽根募金が始まる。そのため秋の季語となっている。1日に、駅前に子どもたちが並んで、大きな声を上げている。そんな時期がきたのかと、その声で気がついたりする。テレビで、政治家がつけていて思いだしたりもする。 第2次世界大戦後に始まっ…

数珠玉(じゅずだま)

数珠と言えば珠に糸を通して輪にした法具だが、数珠玉は植物。実に糸を通して数珠のように遊んだ。祖母に、お手玉のなかに入れて作ってもらった記憶もある。 芒のように株になっていて湿地が好きそうな植物で、調べてみたらイネ科の植物だった。子どもの頃は…

烏瓜(からすうり)

まだ瓜とつく植物があった。日頃食することのない烏瓜。苦みがあってカラスくらいしか食べないということから「カラス瓜」と名付けられたとか。また、食べない瓜だから「枯らす瓜」とつけられたなどの説もある。 「烏瓜の花」は夏の季語、「烏瓜」は秋の季語…

芒(すすき)

芒に関する季語もいろいろと多い。芒の花穂が開くと動物のしっぽのようで「尾花」とも呼ばれる。芒の群れが風になびくさまは風情がある。月にもあうし、秋の空にもあう。 今では使わなくなったが、屋根を葺くカヤにも使われた。子どもの頃、我が家のたい肥小…

糸瓜(へちま・いとうり)

いろいろな瓜があると先日書いたが、糸瓜を忘れていた。妙に長い糸瓜。「いとうり」がなまって「と瓜」になったそうだ。それで「と」は『いろは歌』の「へ」と「ち」の間にあることから「へちま」になったんだとか。 へちまタワシは有名である。子どもの頃、…

薄紅葉(うすもみじ)

家のなかで、日差しがこれまでは入らなかったところまで届くようになった。日の入りが早くなりつつある。草が穂をつけるようになった。季節が大カーブを曲がるように、変化していっている。 うっすらと紅葉しかかったものを薄紅葉という。初紅葉という季語も…

衣被(きぬかつぎ)

この季節にしか出回らない、小ぶりの里いもを皮のまま茹でて、塩をつけて食べる。日本酒にあう。「きぬかずき」が転じたものだという。きぬかずきは平安時代の身分の高い女性が被ったもの。「きぬかつぎ」はそんな気取ったものではないが、なぜか次々とあと…

紅葉且つ散る(もみじかつちる)

秋の季語と言えば月と紅葉が代表格か。さまざまな表現がある。「紅葉且つ散る」は季語としては比較的長い。今を盛りにしている紅葉があるかと思えばすでに散ってしまっているものもある。散った紅葉が小川を流れていく。風に舞っていくことも。そして、その…

曼殊沙華(まんじゅしゃげ)

彼岸花(ヒガンバナ)ともいわれる。他に死人花、幽霊花、捨子花などともいわれる。地域によってもさまざまな呼び方がある。なんだか不気味なイメージの花である。 実は我が家の庭にもある。彼岸になって庭を見ると片隅に咲いている。忽然と赤い花が現れる感…

木犀(もくせい)

今ごろ、枝の間に小さな花をつける木犀。香り高い花だ。橙色の金木犀、白い花の銀木犀。 近所に金木犀の巨木がある。屋根よりもはるかに高く、花に触れることはできないが香りに触れることはできる。 これまで、咲いているときにだけしか香りを味わうことは…

相撲(すもう)

相撲は秋と限らないが、宮中において旧暦7月に相撲節会が行われたため秋の季語となったという。職業相撲が発達したのは室町時代。興行化されて、神社などで開催された。現代俳句では、相撲取りとか力士、関取、土俵などだけでは季語としないようだ。 各地に…

秋祭り(あきまつり)

秋に行われる祭りの総称。春の祭りは豊作を祈って行われるが、秋祭りは感謝の祭りである。稲の神に、田から山に帰っていただくのだ。 10年前に鳶のおじいさんと知り合いになり、木遣りを教えてもらっていた。おじいさんは亡くなったが木遣りは数人で今もやっ…

穭田(ひつぢだ)

穭田。稲刈りの終わったあと、切り株に生えてくる細い茎のこと。でも、私は穭田と表現したことはない。初耳だ。稲を刈った後、しばらくするとまた生えてきて、なかには花が咲いて実をつけることもある。多くは実がつかずカラである。 秋から冬にかけて。なの…

南瓜(かぼちゃ)

西瓜(すいか)、冬瓜(とうがん)、そして南瓜(かぼちゃ)。瓜という字に一文字足すだけで、だいぶ違う食べ物になる。いずれも秋の季語である。 子どもの頃は食べたいと思わなかったが、最近はよく食べる。あまくほくほくして、やはり秋の味覚だと思う。 …

銀杏黄葉(いちょうもみじ)

昨日、桜紅葉について書いた。それで思いついたのが銀杏黄葉。まだ銀杏黄葉の季節ではないが、やはり秋の季語である。黄葉と書いてもみじと読ませる。桜紅葉は赤いが、こちらは鮮やかな黄色である。日が短くなるころ、一斉に落葉し、黄色い絨毯となる。 銀杏…

桜紅葉(さくらもみじ)

咲いたころには大騒ぎをするが、桜の紅葉を知らない人も多い。いや知ってはいても桜紅葉として味わう人が少ない、というべきだろうか。バスを降りて我が家に向かう途中に桜並木がある。途中に行き付けの床屋さんがある。 他の木が紅葉しないうちに、一足先に…

添水(そうず)

「鹿威し」なら知っているだろうか。害獣を追い払うために、水を利用して竹筒が石にあたって大きな音を立てる。鹿を脅して追い払うものだが、私たちの知っている鹿威しは庭園で風流を楽しむもの。 秋になると、多くの植物は実る。動物は来たるべき冬のために…

稲扱(いねこき)

脱穀ともいう。私が子どもの頃はすでに動力化していて、ベルトで発動機とつないで稲を扱いだものだ。そういう機械がないころは足踏みの脱穀機があって、豆などはそれでやった。足扱ぎ脱穀機とでもいうのだろうか、私の田舎では大人も「ガーコン」もしくは「…

蝗(いなご)

稲刈りが始まると蝗どころではない。だから、刈るばかりに色づいた田を歩きながら蝗をとる。お茶の入っていた細長い袋をもって、それに入れていく。帰ると、ばあさんが羽と足を取って炒める。美味しかった。 稲刈りの時にも蝗は飛び交うが、忙しいから蝗取り…

虫籠(むしかご)

虫籠は夏の季語かと思っていたら秋の季語。そうか、カブトムシなどではなく虫の鳴く声を楽しむのだったらやはり秋だね。 しかし、現代社会にはそういう情緒はあまりない。江戸時代には竹ひごで作った素晴らしい虫籠がある。ついでに、精巧に作った虫が入って…

秋桜(あきざくら)

コスモスのこと。日本には明治期に入ってきたということだが、日本人の心性にあっているのだろうか、早い時期に広く普及した。秋桜という呼称も普及する一因になったのだろうか。日本人の心性、と簡単に言い切ってしまったが、それは何なのだろう。 馬の来て…

桔梗(ききょう・きちこう)

凛とした風情がある。紫か白。子どもの頃、花壇で見たが、山のなかで見た記憶もある。ということは、雑草だったのだろうか。検索してみたら、いまや絶滅危惧種だという。 桔梗の蕾が咲くときに、ぽんと音がするという句があったが勘違いではないだろうか。た…

野分(のわき)

台風の季節である。温暖化の影響か近年は大型台風がやってくる。台風はむかし野分といった。野の草を風が強く吹き分けるという意味。季語では「野分の風」ともいう。 子どもの頃、夜に野分の風が吹くと、朝早く起きて散歩をしたものである。柿が落ちている。…

秋の蚊(あきのか)

夏の蚊に比べて弱弱しいと話す人もいるが、私はむしろ血を吸うのに狡猾になったのではないか、と感じている。肌への着地が初夏の頃より格段にうまくなったように思う。 太宰治の文章に、たしか「哀れ蚊」というのが出てきた。おばあちゃんが、残り少ない命な…

蟷螂(かまきり)

泡のようななかから子どものカマキリが次々に現れてくる。そういう昆虫の多産は、それだけ他の生き物に命を提供しているからなのだろう。 多くの子ども蟷螂が他の生物に命を提供するのと対照的に、大人になった蟷螂は鎌を使って命を食う。 秋まで生き永らえ…

穴惑い(あなまどい)

秋になると、蛇が何匹も集まって、穴を探すという。蛇の苦手な私には、どうしてこんな季語があるのだろうと考えてしまう。ほんとうにこういう光景があるのだろうか。無事穴に入ると「穴に入る」という季語がある。だから、穴に入ることを逡巡している光景と…

無花果(いちじく)

盛りである。子どもの頃に取って食べていたせいか、スーパーで売っているのを見ても手が出ない。食べたいのだが値がはっている。ただ、傷みやすいので、割引になったころ求める。 それにしても、花のない果物というのは不思議だ。ウキペディアから引用すると…

蓑虫鳴く(みのむしなく)

蓑虫はある種のガの幼虫。雨具の蓑に似ているところから蓑虫といわれる。木の枝などにぶら下がっている。 子どもの頃、千代紙などを細かく切って箱に入れておくと、千代紙の蓑虫ができたものだ。その蓑虫も近年では絶滅危惧種に指定されているのだとか。天敵…

猿酒(さるざけ・ましらざけ)

猿が作ったといわれる酒。昨日の「蚯蚓鳴く」と同じく想像上の季語である。 猿が木の洞や岩のくぼみなどに溜め込んだ果実などが自然に発酵して酒になったものと言われている。 ましら酒とも呼ばれ、猟師や木こりなどが探し求めて飲んだ。想像の話が大きくな…