季語 日めくりエッセイ

木ノ内博道 俳句の季語に触発された日々の想い

2021-02-01から1ヶ月間の記事一覧

青ぬた(あおぬた)

辞書を引くと、芥子菜をすりつぶし、酒かす・味噌・酢を加えてすり合わせ、魚や野菜をあえたもの。また、ゆでた芥子菜や浅葱を酢味噌であえたものとある。子どもの頃は食べなかったと思う。いや、酢味噌和えとして食べていたか。 青饅やときには酒をつがれも…

水菜(みずな)

サラダよし、鍋もよし。炒め物も漬物も。いろいろな食べ方があるようだが、サラダで食べることが多い。多くは貰い物。 いつの間に水菜の泥が頬つぺたに 岸本尚毅

雪解(ゆきげ)

雪が解けること。いうまでもなく雪の解け出すのは場所によって異なる。5月の連休に秋田を旅した時には、野原一面、雪解の水が流れていた。我が家の方では雪が降らないので、雪解の喜びを感じたことがない。 つぶやきかあらずしたたる雪解水 加藤秋邨

菠薐草(ほうれんそう)

二月のほうれん草は甘い。収穫時にわざわざ冷温にさらすこともある。そうすると甘さが増すのだという。 子どもの頃は気にも留めず寒い時に食べたものだ。美味しいという思い出も特にない。他の野菜のないシーズンなので食べるとかと思っていたが、暖かくなる…

白魚(しらうお)

シラウオとシロウオは種類が違うが、多くは混同している。シラウオは水から出るとすぐ死んでしまうので、踊り食いなどはシロウオの方だろう。 踊り食いを呑み屋さんで食べたことがあるが、とくになにかを味わうという感じはしない。踊り食いは自宅で食べるよ…

鶯(うぐいす)

この時期の鶯はまだ鳴き方が下手だったりする。竹藪のなかで声がするがなかなか見えない。子どもの頃は気づかなかったが、ここ20年ほどは、朝の鶯の声で目覚めたりする。 鶯や人遠ければ窓に恋ふ 飯田蛇笏

薄氷(うすごおり)

春の季語、薄氷は、剃刀のような切れ味の氷である。しかし、そうしたシャープさとともに、春を思わせる氷でもある。 昨日見たテレビで、年々暖冬になりシベリアの川の氷が薄くなってきていると報じていた。25センチの氷では、2000頭もの羊を向こう岸に渡らせ…

雛菊(ひなぎく)

子どもの頃、庭に雛菊が植わっていた。雛菊は花壇の前のほうで、徐々に背丈のある花が植えられていた。だから踏みそうにもなるし、それだけ愛着もあった。 近年は庭に植えることもないし、近隣の庭にも見ない。 売れ残りゐし雛菊の鉢を買ふ 湯川雅

梅見(うめみ)

桜の季節は暖かいが、梅見の頃はまだ寒い。それでも梅見と言って散歩したがるのは、やはり暖かさの片鱗なりとも味わいたいからである。 子どもの頃も、梅見で盛り上がることはなかったように思う。 梅見婆はしよれる裾の派手模様 星野立子

春菊(しゅんぎく)

ほろ苦い春菊。子どもの頃、春菊の天ぷらがお弁当に入っていた。子どもの頃はあの苦さが苦手だった。「お弁当に春菊は嫌だなあ」と母に言ったことがある。そんな注文を付けたことは春菊くらいしかない。母は「ほう、そうか」と言って笑った。 春菊の思い出は…

針供養(はりくよう)

今日は針供養の日なのだとか。折れたり曲がったりした針を神社にもっていくが、自分の家で豆腐に刺したりもする。働いてもらった針に休んでもらうために、柔らかいものに刺すとも言われている。 老妻のけふ針供養と言ひしのみ 山口青邨

二月礼者(にがつれいしゃ)

事情があって正月にあいさつできなかった人がやってくる。客商売などがあるだろう。 子どもの頃、我が家は農家だったから、二月礼者はなかった。 やや地味に二月礼者の装へり 大久保橙青

下萌え(したもえ)

庭先や野、河原などに枯草に交じって新しい草の芽が見え始める。寒いと思いながら、確実に春がやってきていると思う。 何草か萌え何草か枯れしまま 高野素十

猫の恋(ねこのこい)

恋猫、うかれ猫、春の猫、猫の妻、孕み猫など、猫の恋に関係する季語は多い。 昼夜を問わず鳴きたてる、風雨にも怯えず。早春を猫の恋で知る、ということもあるだろう。 恋猫に物影深き港町 飯島晴子

末黒の芒(すぐろのすすき)

焼野の芒ともいう。草を焼いた後の黒くなった野原に萌え出た芒のこと。先端が焼かれて黒くなったりしている。万葉以来多くの歌になっている。 草木が焼けて、川の流れているのを知る、など、発見もある。 末黒野や鮒のにほひの川ながれ 篠田悌二郎