季語 日めくりエッセイ

木ノ内博道 俳句の季語に触発された日々の想い

2020-05-01から1ヶ月間の記事一覧

更衣(ころもがえ)

外国にも衣替えはあるのだろうか、とふと考える。というのも、一斉に夏服に着替えるという、集団主義が少し気になるからだ。学校の制服など、6月1日からと決まっていて、子どもの頃、厳格に着替えたものだ。また、考えようによっては、季節の変化を楽しもう…

夏暖簾(なつのれん)

店の前にかかる暖簾は「営業していますよ」という情報。店の格式や信用を表すようになっていった。商人にとって、武士の刀のようなもの。ちなみに職人にとっては半纏(はんてん)がそれにあたる。戦後まもなく、屋台などで食べた後、暖簾で手を拭くようなこ…

茄子苗(なすなえ)

例年のことながら茄子苗を買ってきた。いったん根付けばこんなに簡単な栽培もない。苗と思っていたのに花をつけて、気の早いのは実らしいものを準備している。茄子の花の紫に惹かれる。2、3枚の葉がグローブのように大きくなっている。茄子苗はこのシーズ…

日向水(ひなたみず)

強い日差しで水が温むこと、だろうが、思いだすのは田の水。水藻が生えてくる季節である。また、生活のなかの日向水は、行水用にとっておいた水だろう。と言っても、行水の習慣はなくなった。庭に置いたビニールのプールの水か。植木鉢に水を差そうとしたと…

花茣蓙(はなござ)

子どもの頃、茣蓙といえばビニール製のものが大半だった。だから、イグサの香りはしない。また、花茣蓙といえば縁側などに敷いて、ただの茣蓙とは違った涼を味わったものだろうが、私たちの頃はそういう使いかたはしなくなっていた。イグサの香りもなく、べ…

端居(はしい)

暑い時に、濡れ縁などに出て涼むこと。風呂上がりなどに多いから、夕端居ともいわれる。暑ければ冷房を強めにかけて過ごす今と違って、どこか情緒がある。だいたい、端居という言葉が季語にあることで、昔の夏の過ごし方が目に浮かぶ。生活の場である居間か…

五月雨(さみだれ)

5月(さつき)とはいっても旧暦なので6月ごろ。長く雨が続く梅雨のこと。しかし梅雨はその季節全体をいうが五月雨は雨についていう。5月(さつき)の「さ」と水垂れの「みだれ」が結びついたものだといわれている。桜の「さ」が穀物の神のことであり、早苗も…

鷺草(さぎそう)

実家の庭に咲いていた。子どもの頃、とくに誰から説明をされるのでなくても、鳥に似ている、と思ったものだ。秋、田んぼにシラサギが飛んできたが、その姿にみごとに似ている。東京・世田谷には、鷺草にまつわる悲しい話が伝わっている。おもわずそういう話…

蠅虎(はえとりぐも)

子どもの頃、戸袋や縁側に蠅とりグモがいたものだ。人に敵意を表すでもなく、愛らしい。密閉度の高い最近の家屋にいると間違えて入ってきた感じだが、生家など内と外がオープンだから、縁側などによくいた。陽だまりに蠅もよく来たから、かっこうの餌場とい…

十薬(じゅうやく)

薬効があるということでこんな名がある。ドクダミのこと。ドクダミの白い花も、美しいと言えるのではないか。においわるいものではない。総じて、そんなに嫌いではないのだが、しかし庭にはびこるととめどなく広がる。地下茎で増えるのだ。十薬の花ひっぱっ…

縞泥鰌(しまどじょう)

ドジョウと言えばドジョウ鍋、柳川鍋など食べることに関心が向きがちだが、先にも書いたように田んぼでドジョウ掘りもした。そして、小川の水が温くなるころ、網をもって川に入ったものだ。童謡にあるように、さらさらと流れている水。川底が泥ではなく砂地…

迎え梅雨(むかえつゆ)

猛暑が続いて、いよいよ地球もおかしいとか感じていたが、今度は冷たい雨の日が続く。変わりやすいのがこの時期の天候なのだろう。夏バテという言葉があるが最近は春バテ、秋バテがあるのだという。変わりやすいこの時期こそその変化に身体がついていけない…

昼顔(ひるがお)

駅近くの駐輪場の金網に昼顔が咲いている。大ぶりのあさがおとは違った風情がある。飾った感じがない。そうした、日頃注意の向かない花に想いがいくと、何事かが起こる予感となる。それも、大きな事件が起こるわけではない。昼顔に小包が来る気配あり 五島高…

柿の花(かきのはな)

柿といえば晩秋の季語になるが、花はこの季節。と言っても、あまり注意深く見ることはない。季語になっているというので、葉に隠れた白い花をしっかりと観察した。4枚の大きな額のなかにこれも4枚の花弁がある。庭ごとに競うように咲いている薔薇に見飽きた…

螻蛄(けら)

イメージはずいぶん違うのだがバッタの仲間なのだという。螻蛄といえば、虫けらを思いだす。しかしこの場合のけらは螻蛄のけらとは違うようだ。「とるにたりないもの」をけらというらしい。また螻蛄のことをオケラという。おけらといえばこの螻蛄のこと以外…

胡瓜揉(きゅうりもみ)

農事が忙しくなると昼食などは間に合わせになる。その代表的なのがキュウリ揉みだったのではないか。スーパーで売っているような程よい大きさのものではなくて、刻めばドンブリ一杯になるようなキュウリを素早く母が作る。スーパーで買う人には分からないだ…

トマト(とまと)

赤茄子ともいわれる。世界中どこにでもあり品種も多い。生食だけでなくジュース、ケチャップなどにも加工される。ハウス栽培が普及していまではトマトから季節を感じることは少なくなった。子どもの頃は露地栽培が普通で、小学校の帰り道など、知らない畑か…

目高(めだか)

子どもの頃、のどかな小川を覗くとメダカが必ずいた。ところが最近は見かけない。平成11年に絶滅危惧種に指定されている。かわりに、カダヤシが増えている。外来種で、ボウフラを食べることから沖縄の方で飼われていたようだが、それが全国の小川に広まった…

青田(あおた)

田んぼの風景はいろいろな季語となっている。代掻きが終わって田植えのできるようになった田を代田という。田一面に水が張られて、鏡のようである。神聖な感じがする。田植えを終えて間もない田のことを植田あるいは早苗田という。苗は整然と並んでいて、水…

葉桜(はざくら)

満開の喧騒。咲き始めのまだかまだかの心境。それが過ぎると、一気に桜への関心は薄れる。不平を言う人もいる。毛虫がぶら下がるのが嫌で日傘をさして歩く人もいる。だが、新緑もいいと思う。とくに木漏れ日がいい。木々がそよ風に揺れながら、木漏れ日も揺…

髪洗う(かみあらう)

髪を洗ったあとのすがすがしさ。これもこの季節の恵みと言える。濡れた髪のまま風呂を出てうろうろと探し物をする。開けた窓から風がはいる。また、洗っている時の気持ちのありようも句になる。無心でいたり、あるいはモノローグ。そして、無防備でもある。…

青梅(あおうめ)

熟す前の青い実のこと。昨日、散歩していたら桑の木があった。小さな実をつけている。いろいろな木の葉の間に目を凝らす。この季節、実のなる木もまだ小さな実で目立たない。梨畑を覗くと、やはり実をつけていた。この後しばらくすると、ピンポン玉くらいの…

夜釣り(よつり)

子どもの頃、同居していた叔父が釣りに行こうかと誘ってくれる。と言っても夜の9時前後。先に鈴をつけた竹竿をもって川に行く。餌は小指ほどもあるミミズ。ごみの山に棒を差し込んで動かすとミミズはモグラが来たのかと感じて慌てて出てくる。それをつまむよ…

牛馬冷やす(ぎゅうばひやす)

田んぼで泥だらけになった牛や馬を水辺に連れて行って水をかける。子どもの頃に見かけた風景である。田畑で使うときはずいぶん汚い言葉で言うことをきかせるが、洗っている時の農夫は優しそうである。牛馬も気持ちがいいのかおとなしくしている。川の冷たい…

片蔭(かたかげ)

冬の間は道を歩くのに日の当たるところを選んで歩いたものだが、いつの間にか日陰を選んで歩いている。片蔭、何のことはない道が片方だけ陰っているというだけのことだが、季語になっている。それだけ季節を感じる現象と言えるのだろう。片蔭のほうだけ人が…

母の日(ははのひ)

子どもの日が過ぎると母の日がやってくる。マザリングサンディ。5月の第2週目の日曜日だが、他の日曜日にしている国もある。アイルランドやイギリスでは復活祭の3週間前の日曜日に行われ、奉公にでていた子どもたちが母親と面会する日。アメリカでは南北戦争…

水盗む(みずぬすむ)

田植えが終わると、水をたっぷりとたたえておく必要がある。気温が下がったりすると、苗にとって水は布団のようなものである。女手によって隣近所が助け合って田植えをした後、今度は主に男どもによって、水の確保が行われる。田んぼを見て回りながら、さり…

早苗饗(さなぶり)

早苗饗は田植えを終えた後の宴のこと。いまは機械であっという間に田植えが済んでしまうが、昔は村を挙げての労働だった。母は隣近所の田植えに行って、自分の家の田植えにもやはり来てもらう。どういうわけかそれは女たちの労働の貸し借りで、男たちはそれ…

鯉幟(こいのぼり)

滝を登るイメージから鯉登かと思っていたが、幟の一つ。多くは武家の習わしだったようで、必ずしも鯉だけではなく定紋や鐘馗(しょうき)の絵を染め抜いた幟を兜、長刀(なぎなた)、吹流しとともに家の前に立てた。それを小さくして座敷幟になったりした。…

桐の花(きりのはな)

なんとも微妙な時期に咲く花である。春の花見イベントも一段落したころに、花をつける。桐の花を話題にしたことはないし、しようとも思っていなかったが、バスに乗っていて見かけたのである。薄紫の、一個一個はよく分からないが、全体としては満開。ネット…