季語 日めくりエッセイ

木ノ内博道 俳句の季語に触発された日々の想い

2020-08-01から1ヶ月間の記事一覧

蚯蚓鳴く(みみずなく)

夕方、一斉に虫たちの鳴く季節がやってきた。虫たちの鳴き声のなかに、ジーと耳鳴りのように鳴いている虫がいる。それを昔の人は蚯蚓鳴くと表現し、秋の季語にもなっている。実は螻蛄(おけら)の鳴き声だというが、螻蛄も今どきに見ない。言葉として、オケ…

西瓜(すいか)

夏の季語と思われがちだが、スイカは秋の季語である。いずれにしてものどが渇いた時のスイカはありがたい。井戸のなかや山地では清水の流れに浸すなど冷やして食すために工夫する。 重いからか、西瓜売りが車に積んで売りに来た。最近はスーパーで買う。皮の…

秋思(しゅうし)

8月も下旬を迎えているが、旧暦ではまだ7月。季語の世界での季節感は難しい。 秋思という季語がある。秋にもの思う、ということだが、一抹の寂しさがある。命が躍動した夏が過ぎて、日々をどのように過ごしたらいいのか、思いを巡らす。 春愁秋思という言葉…

秋の蚊帳(あきのかや)

秋と言ってもまだまだ蚊帳を使う。蚊帳そのものは夏の季語だが、蚊帳の別れ、蚊帳の果てなどの季語は秋。使うと書いたが、もう蚊帳は使わない。実家など、古い家に行くと部屋の4隅に釘の頭が出ている。昔の名残である。 蚊帳は結界でもあったのだろう。なか…

生姜(しょうが)

薑(はじかみ)ともいう。根茎が太くなり、それを食する。秋の味覚のなかでも不思議な食べ物だと思う。味噌をつけてかじる。それでビールを飲む。暑さでバテ気味の身には涼の気分を味わえる。 下の句、現代には生姜売りが来るわけではないが、もし来たとした…

鯊(はぜ)

子どもの頃、涸沼川に釣りに行った。夏休みの終わりごろになると型もよくなって、まだ暑いから浅瀬に集まっているので入れ食いの状態だった。釣ってきて、天ぷらにしてもらって食べる。柔らかい身がうまかった。そんなことを思い出す。 今住んでいるのは江戸…

地蔵盆(じぞうぼん)

8月24日は地蔵菩薩の縁日。この日を中心にしたお祭りを地蔵盆という。地蔵は子どもを守る、ということからお祭りも子どもが主役。 知らぬ子に紅さしてやる地蔵盆 林佑子

新豆腐(しんどうふ)

新しくとれた大豆で作った豆腐のこと。香りがいいと言われているが食べたことがない。 日本人は新しいものが命を寿ぐといって初物に特別の価値を見出す。初物は味わうだけでなく、仏壇に供えたりする。そういえば新蕎麦もそろそろか。 青紫蘇を糸刻みして新…

南瓜(かぼちゃ)

子どもの頃、どてかぼちゃ、おたんこなすと悪口を言ったものだ。いまでも生きている言葉だろうか。意味も知らずに使っていたが、間抜け、用無し、役立たず、といった意味で使っていたと思う。 土手に野生化したかぼちゃは旨くない。おたんこなすは、小ぶりの…

稲妻(いなづま)

大きな雷が少なくなったように思う。子どもの頃の雷はとにかくすごかった。安全器を開いておくのに、そこを電気が伝わって、瞬間的に電灯がついたりしたものだ。 ところで、雷は雲から雲などに伝わるものの総称で、稲妻は天から地に落ちるものだと解釈する人…

梨(なし)

山梨をはじめとして梨のつく地名は多い。ということは日本の山に梨の木が多かったということだろう。 鳥取県に行ったとき、20世紀梨の記念館があった。原木は、私の住む市川、松戸からもっていったものらしい。当時の梨としてはみずみずしくて柔らかく、画期…

朝顔(あさがお)

6月に蒔いたアサガオが見ごろである。それにしても、つる草というのは横着なものだな、と眺めている。幹をたてて、ということなら時間もエネルギーも使うだろうが、どこかに巻き付いて、花をつける。江戸時代には町人も武士もこぞってアサガオの品種改造に取…

桐一葉(きりひとは)

他の樹木に比べて、青桐は一足早く落葉する。早く散ることでまだ夏の気配なのに秋の訪れを感じる、そんな思いを伝える言葉である。物事の予感、でもある。とくに、物事の衰退していく予感を味わう。日本人の好きそうな思いなのだろう。俗に、一葉落ちて天下…

鬼燈(ほおづき)

花ではないが、お盆の花として知られる。お盆には提灯がつきものだが、その提灯に見立てられるほおづき。この時期、花屋で見かけるが、やはり田舎というか、子どもの頃を思い出す。 鬼灯に数十年を引き寄せて 稲畑廣太郎

蝉時雨(せみしぐれ)

まだまだ暑い。というより今が暑さの盛りか。朝からセミが鳴いている。珍しく、今年はにいにいぜみが鳴いたし、アブラゼミも鳴いた。夕方になるとミンミンゼミも。不思議なことに、この蝉しぐれのなかにいると、静けさが味わえる。 ところで昨日の夕刻、聞き…

施餓鬼(せがき)

今日はお施餓鬼だよ、という親の声に伴われて寺に行くと村中の人々が集まっていて、子どもたちは寺のいろいろなところを遊び場にする。 やがて施餓鬼が始まる。何人もの坊さんが経を唱え、そのうちシンバルのようなものを打ち鳴らして集まった村人のなかを回…

流れ星(ながれぼし)

流れ星を多く見る季節になった。流星群。天の一点から流星が降ってくるように見える。それに違いはないのだろうが、天体を眺めるのによい季節、あるいは空が澄んでいるので流れ星を見る機会が多い、それで季語になっているのではないか、とも思う。 一瞬だけ…

中元(ちゅうげん)

中元というくらいだから上元、下元もあるのではないかと思ったら、やっぱりそうだった。中国・道教では正月15日が上元、10月15日を下元という。間の7月15日が中元でいろいろな催事があったという。 日本では贈り物をする文化として定着した。お盆のシーズン…

花火線香(はなびせんこう)

なじみやすい呼び方は線香花火だろう。派手派手しさがなく愛好家も多い。打ち上げ花火と違って、子どもたちでも楽しめる。子どもの頃の線香花火の方が、あの炭火がはねるような音や光、最後に落ちる玉もしっかりしていたように思う。 もともとは江戸時代、香…

落とし水(おとしみず)

農家で育ったせいか、農事の季語が気になる。稲刈りの一月ほど前から田の水を抜く。それは間もなく収穫が始まる予兆のようなものである。 我が家の田にはいなかったが、カブトエビのいる地域がある。最近は通販で卵を売っている。子どもたちが、夏休みの研究…

稲の花(いねのはな)

いちめんに実った田をみると、一粒一粒に花が咲き、受粉し、こうして実ってきたのだという営為に頭の下がるような思いがする。いまでこそ機械化が進んだが、以前は田んぼをはい回るようにして稲作は行われたのである。 稲の花をつけるようすを模型にしたもの…

白桃(はくとう)

8月の8日から10日は語呂合わせで白桃の日なのだそうだ。 我が家の庭の桃の木はいっこうに実をつけない。田舎の桃の木もそうだった。木そのものも甘いのか虫がつきやすい。それでも殺菌効果があるのだとか妻に葉を取って来いと頼まれる。 言うまでもなく白桃…

鶏頭(けいとう)

隣の庭に真っ赤な鶏頭が咲いている。強い日差しのなか喧嘩でも売るように鮮やかだ。 鶏冠に似ているので妥当な命名といえる。茎も赤いから、根っから赤に染まっているのだろう。うっかりすると、自分の弱気に負けそうになる花の色だ。そして、子どもの頃を思…

露草(つゆくさ)

露草は蛍草ともいう。庭に露草が咲いた。どこにでも見る草だが、庭に咲くというのはそれだけ雑草が生えているというわけだから、褒められたものではない。しかし、雑草とはいえ鮮やかな青は見ごたえがある。 月草ともいって古名の「つきくさ」からきていると…

生身魂(いきみたま)

お盆は新歴でやったり旧歴でやったり。田舎では旧歴でやることが多いから、月遅れの8月の旧盆には国内が民族大移動の時期となる。盂蘭盆会といって、精霊棚をしつらえて先祖の霊を弔う。 ところで生身魂という季語がある。季語でもなければ生身魂という言葉…

案山子(かかし)

新米の出回る季節になった。もう、と驚く人もいると思う。 案山子は、鳥獣の害を防ぐために田畑に立てる。この季節に立っていることが多く、目立つ。かがしという人もいる。どうやら、昔は鳥獣の肉や毛を焼いて、その悪臭をかがせて追い払ったという。それで…

草の花(くさのはな)

同じような季語で秋草がある。秋草にはそれなりの草のイメージがあるが、草の花と表現するときにはいろいろな花が浮かび、イメージが定まらない。夏の草花に比べて、ひっそりとした感じがある。 芭蕉の句、人間にも言えることだが、手柄というのがいい。 草…

鳳仙花(ほうせんか)

鳳仙花の句には、田舎の情景を思い出すものが多い。花の咲いた後、実の色が薄くなり膨らんでくると、はじけて種を飛ばす。そのクルっと丸まるのが面白くて、子どもの頃、触ってみたものだ。そういう、なんということはない空白の時間。なにを思っていたのか…

八朔(はっさく)

朔日とは1日のことで、旧暦の8月1日を八朔という。そのころにとれはじめる早稲の穂を日頃お世話になっている人に贈る習慣があった。田の実の節句ともいわれる。面白いのは田の実が転じて「頼み」となったこと。農家だけでなく日頃の恩にお礼をする日になった…