2020-01-01から1年間の記事一覧
大晦日というのはせわしないような何事もやることがないような、中途半端の1日である。大きな片付けものをやるには時間がない。どちらかというと家内の天下である。頼まれたことをやる。 思い切って、友人と飲みにいくのがいいのかも知れない。 下の句、わび…
柚子湯は冬至に入るものだが、庭に柚子の木があって、気が付いた時に風呂に柚子を入れてみる。寒い時期、風呂は文句なしにいい。 下の句、生涯の傷とはどんなものをいうのだろう。 生涯の傷をいたはる柚子湯かな 村山古郷
いよいよ年も押し詰まった。1年を振り返るいいタイミングであるが、これと言った大きな反省があるわけではない。 ゆく年や鳶のきてゐる厨口 金尾梅の門
餅を搗いて、門松をたてて、新年を迎える準備が整う。庭に、父が門松を作る。その門松は正月が過ぎても松の枝だけ地面に挿しておく。すると2月ごろになると根が生えたものだ。 年神さまを迎える依り代としての松だが、地域によってやり方はさまざまだった。 …
米には穀霊が宿るなど神聖なものだった。だから餅も同様。 でも杵と臼で餅を搗くのは過去のものとなった。餅つき機で手軽に餅がつける。 子どもの頃、父が餅を搗き、母が返しているのを眺めていたものだ。掛け声をかけて、手早く餅を返す。危なくないのだろ…
神棚はもちろん、竈や井戸、氏神など、いろいろなところに注連飾りをしたものだ。 注連飾りは年神さまを迎える準備。注連縄の「しめ」には神様の占める場所、という意味があるとか。結界として魔除けにする意味もあるようだ。 毎年、父が注連縄を作りながら…
大晦日の語源、もともとは晦日からきている。月ごとの末日。その晦日は旧暦の暦からきている。旧暦の暦で末日は月の出ない日である。晦は月が隠れるという意味。同様につごもりもつきごもりが転じたもの。 大晦日定めなき世の定めかな 井原西鶴
いいとこどり、というか、楽しむことができればいいとのことか、キリスト教に関係がない人も盛り上がる。合理的だと思うのは冬至が過ぎて日が伸び始める時期に位置すること。 風呂敷が園児の衣装聖夜劇 西村和江
冬ざるる、と句にすることもある。特定のなにか、ではなくて、万象の荒涼たるさまをいう。便利な季語のようだが、なかなか句にしにくい。 冬ざれの道に拾ひぬ空ラ財布 高橋淡路女
火に近い方の節だけのこして、きりで穴をあける。それだけの代物だが、火が消えそうなとき役に立つ。火を起こすのはそれなりに苦労がいった。お面でひょっとこがあるが、火男から来ている。 ま青なる火吹竹あり初竃 藤田美乗
子どもの頃は確かおじやと言った。調べてみたら江戸言葉だという。じやじや煮えるところからおじやと言ったとのこと。雑炊は京阪の言葉らしい。貧しい人の食べ物と思っていたが貴族の社会にもあって、水雑炊は二日酔いの時など粋な食べ物だったという。 雑炊…
焼きの不完全な炭のこと。座敷で火鉢などに使うと涙が出る。安い炭にありがちだが、そんなことから思うのは、ご飯を炊いた熾きを消し壷に入れたり、2次、3次利用するから燻り炭はありがちだった。 いぶり炭三和土に出して憎みけり 山口波津女
家のなかで暖をとるものといえば炬燵と火鉢か。炬燵の方はいまでも使われているが、火鉢は使われなくなった。火鉢は水槽代わりに使われ、メダカなどが飼われている。 子どもの頃、我が家にも火鉢があって、けっこう暖かかった。火箸で炭を足したり、寝るとき…
寒くて寝つけない時に飲むのが寝酒である。冬の季語。年中飲んでいると季語にはならない。 やや熱きことが肴の寝酒かな 鷹羽狩行
年末を迎える時期になると、日記や暦に関する季語が多くなる。古日記や古暦。一方、日記買う、暦買うと言った季語もある。 私の青春時代には、手帳やカレンダーが多く集まったものだ。だが、気に入ったものは少なく、やはり長く使うものなら自分で買った方が…
くさめ、くしゃみともいう。徒然草にも出てくるというから古い言葉なのだろう。くしゃみをすると、誰か噂をしているとよくいう。くしゃみには昔も、あるいは海外でもまじないの言葉がある。アメリカだと、くしゃみをすると「祝福あれ」と言われる。日本では…
煤籠ないし煤逃げという。年末の煤掃きの日に、直接煤掃きに関わらない老人や子ども、病人などを別室に避けさせること。近い間柄の家に行かせている場合もあって、これは煤逃げ。 私の場合は子どもの頃、友達の家に遊びに行っていた。用を言いつけられるのを…
朽ちた枯れ葉のことだが、水底にあったり、枯れ葉の重なりの下の方だったり、あるところによってさまざまだ。山田の清水の湧いていそうなところでは、枯れ葉がなかなか朽ちないで、インクのように黒かったりする。 池の朽葉のあるところで小魚を釣った思い出…
納豆も冬の季語である。私のふるさとでは冬になると納豆を作る。堆肥の上が熱くなっていて、筵でくるんだ豆を納豆にするのにちょうどいい。 大量に作るから余る。それらは切り干し大根とまぜて、天日にさらす。糸の引かない納豆もいいものだった。 さて納豆…
12月になると商店街にポインセチアが出回る。クリスマスフラワーとも呼ばれている。和名はショウジョウボク(猩々木)。能などに登場する、大酒飲みで顔の赤い伝説上の動物(人物?)。 この時期に買ってきて、庭に置き忘れたりすると一晩でダメになってしま…
ひと頃、枯れ葉が趣を誘ったものだが、冬も一段と深まって近所の柿の木も枯れ木を偽装している。幾たびも偽装を繰り返して、齢を重ねていく。 野ブドウの蔓を残して冬ざるる 浦野芙美
一茶のこの句は有名。あなたまかせのあなたはどなたなのやら。神様や仏様かも知れないが、あんがい近所に住む若い女性かも知れない。 いずれにしても、自分だけでこの年の暮れまでこぎつけたわけではない。 ともかくもあなたまかせの年の暮 小林一茶
早くも年の暮れ、今年もいろいろとあった。そういうなかで、忌日がある。まさか、と思うような若い人が亡くなった。 十二月心に留む忌日あり 小島阿具里
地球温暖化のせいか東京近郊でも本格的なみかんがなる。炬燵に置いておくと、何となく手が伸びて、みかんを食べている。 ミカンの生っている木々を見るのもいい。日暮れ時、灯りのようである。多くは丘の上で、遠くに海が見える。 妻と子の話の外や蜜柑剥く …
水仙の緑が目につく季節になった。陽だまりの水仙の、少し色の薄いのが莟。 毎年のように報道されるのが、韮と間違えて食べた、というもの。可憐な花だが、食中毒を起こす。 水仙のふつとよこむく莟かな 高橋淡路女
百姓家で葛湯など飲むことはないのかも知れない。我が家の座敷には疎開してからずっと住み続けていた大叔父と、結婚はしていないのだが女性が住んでいた。東京で働いていたせいか、新しい文化を持ち込んでいて、村ではどこもとっていない日本経済新聞をとっ…
ひなたの恋しい季節になってきた。 子どもの頃、家族が縁側に集まって、日向ぼっこをしたものである(日向ぼこ、日向ぼっこ、どちらなんだろう)。庭の霜が溶けて、ぬかるみになる。郵便配達の人がバイクで来ても、手こずっている。母が白髪を抜いてくれ、と…
毎年、いつが初氷だろうと考えてしまう。ぼんやりと生きている証拠だろう。 そこにいくと、子どもの方がしっかりしている。初めての氷を見つけて、小物を入れる箱にしまおうとしている。また、それを見ている小林一茶の目がやさしい。 をさな子や文庫に仕舞…
まだ霜柱ができるほどの寒さではないが、季語を思ううちに、想像の霜柱に出会う。そういう季語に喚起される風景というものもいい。 子どもの頃の通学。霜柱を踏み踏み、友達の家を回って学校へと急ぐ。水たまりにはった薄氷を踏むのも楽しかった。凍った田ん…
侘助はツバキの一品種。花は一重で小さく、半開きに咲き、白・桃・紅色などがある。茶人に好まれ、茶花や庭木とされる。 それにしても、ツバキの名称とは思えない。テレビの影響か犬の名前かと思った。 佗助やちちの紬をははが着て 塩谷はつ枝