季語 日めくりエッセイ

木ノ内博道 俳句の季語に触発された日々の想い

2020-10-01から1ヶ月間の記事一覧

零余子飯(むかごめし)

滋味と形容すべきか。とくにうまいというのではないが、うん、こうした味わい方もあった、と思いだすような味覚である。ほんのりとかおりたつ炊き立てご飯。 塩ゆでにしたり揚げ物で食べることもあるが、やはり炊き込みが味わい深い。 珍客に咄嗟の妻が零余…

瓢(ひさご)

ひさごという呑み屋が多い。考えてみれば瓢箪のことだった。瓢箪の中身を腐らせて、酒を入れたことからそうした名前を付けたのだろう。 さすがに現在は入れ物として使うことはなくなった。土産物屋で観賞用に作ったものを売っている。 それにしても、形が面…

芋の露(いものつゆ)

里芋の葉にたまった露が揺れる。2つになったり、2つが大きい1つの玉になったり。日に輝く芋の葉の露は見ていても飽きないものだ。 自然がひととき、宝石のような玉をつくる。そういえば、芋名月という季語もあった。 いくばくの余生や芋の露享けて 原俊子

尾花蛸(おばなだこ)

蛸は春から夏にかけて産卵をするので、晩秋の蛸は味が落ちると言われている。食べ物の旬や、あるいはそのシーズンには食べるのを避けた方がよいという場合に、身近なものと例えて表す言い方が昔は多かった。尾花は芒の花。動物の尾に似ているから尾花と言わ…

身にしむ(みにしむ)

晩秋になると風も冷たい。それが骨身にしみる。骨身にしみると、寂寥感が漂う。寂寥感がこの季節の味わいなのかと思う。今は亡き人をしきりに思い起こすこともあるだろう。 身にしみて大根からし秋の風 芭蕉

高きに登る(たかきにのぼる)

重陽の節句は9月9日。旧暦の9月9日は、今年は今日10月25日。 この日、中国では災厄をまぬがれるため高いところにのぼる習俗があったという。それを真似て、日本でも丘や高台にのぼる習わしがあったらしい。古い季語にこの「高台に登る」がある。 どうしてこ…

紅葉狩り(もみじがり)

紅葉については何度かここで取り上げてきた。しかし、どうして紅葉を「狩る」というのだろう。もともとは動物に対していわれていた。それがブドウ狩りなど植物に対しても使われるようになった。さらには景色を愛でることにも使われるようになった、らしい。…

椎の実(しいのみ)

ドングリより小粒でやや細長い。普通のドングリと違って食べられる。と書いたが、ドングリと椎の実の違いが、どうもよく分からない。 田舎の我が家の裏庭に椎の木があって、秋になると椎の実が落ちた。子どもの頃それを拾って食べた記憶がある。しかし、それ…

根釣り(ねづり)

気温が下がってくると川や海の水温も下がってくる。晩秋には根釣りという季語がある。根は岩根のことで、岩礁に潜む魚をじっくり待って釣る。 スポーツのように岩場を歩いて釣りをする渓流もいいが、時間をかけて竿を降ろすのも味わい深い。冬にはさらに水深…

爽やか(さわやか)

爽やかな人、などと言う場合は季語ではないが、季節的な爽やかさは秋の季語である。冷ややかも秋の季語。 宮沢賢治の詩に「颯爽」という言葉があって、昔読めなかったものだ。「生徒諸君に寄せる」という詩の冒頭、「諸君はこの颯爽たる諸君の未来圏から吹い…

野菊(のぎく)

野菊という種類の草花があるのかと思っていたが、菊に似ている雑草のことだという。 私は市川と松戸の市境に住んでいて、松戸市の江戸川に矢切の渡しという渡し舟がある。その近くに、小説「野菊の花」の舞台になった景色が広がる。小説の題名にもなった野菊…

夜なべ(よなべ)

夜が長くなると昼間できなかった仕事の続きを夜する。子どもの頃、夕食がすむと父と母が土間で藁をすぐり俵などを編んだ。茨城では納豆を入れるつつこという藁の束も作った。内職である。 夜を延べるので夜なべと言ったとか、夜食を食べる夜鍋からきたとかの…

自然薯(じねんじょ)

もう数十年前、富士山麓で暮らす友人のところに自然薯掘りに行ったことがある。今頃の季節か。自然薯の紅葉を目当てに探す。だから、落葉してしまうと探せない。根本の1メートル手前くらいから掘っていって、自然薯が折れないように大事に大事に掘る。石など…

菊人形(きくにんぎょう)

少し前に菊を秋の季語として取り上げた。子どもの頃、菊人形を家族で見に行った話も書いた。それにしても、菊の花で衣装を模し、狂言や世相を写し出して見世物にする、その趣味はいかにも現代離れしている。 いまでも菊人形展は開かれているのだろうか。やっ…

山椒の実(さんせうのみ)

秋はいろいろな木に実がなる。目立たないが山椒にも実がなった。ところで、山椒はさんしょかさんしょうか。 我が家の庭には棘のある木が多い。れもん、柚子、薔薇、そして山椒。そうだぐみの木にも長い棘があった。庭の手入れをすると必ずと言っていいほど怪…

南天の実(なんてんのみ)

昨日のピラサンカで思いだすのは南天の実。これも秋の季語である。田舎の我が家にもあった。父が白南天は珍しいんだぞ、と何回も言っていた。南天の実は鳥が食べるのだろう。今の我が家の庭に芽吹いたこともある。草と一緒に抜いてしまったのか、いまはない…

ピラカンサ(ぴらかんさ)

語感が面白い。子どもの頃、庭に赤い実がなっていたのは知っていたが、名前を知らなかった。 娘が小学生の頃だろうか。庭に小鳥が来るのを喜んでいた。鳥の名前もよく知っていた。小鳥のエサになるようなものを庭に置いたりもした。それで庭にピラカンサを植…

菊(きく)

秋と言えば菊か。秋には菊に関する季語も多い。 春の桜と並び称される菊だが、園芸用に立派に栽培がされる以外、あまり話題にならないようだ。墓前にそえる花として定着してしまったからだろうか。 個人的には野に咲くような菊が好きだが。茨城生まれの私は…

玉蜀黍(とうもろこし)

トウモロコシは秋の季語だった。スーパーなどでは早くから出ているから、夏の季語かと思っていた。「玉蜀黍の花」は夏の季語だが。それにしても、トウモロコシは先端に花をつけて、トウモロコシの実のところで受精する。毛と見間違う糸は中の一粒一粒とつな…

竈馬(かまどうま)

そういえば秋の季語に虫が多い。しかし紹介するには時期すでに遅し、というところか。寒くなってからも見かけるのが竈馬。昔はコウロギと混同されていたようで、竈馬が鳴くような俳句もあったようだ。しかし、羽がないわけだから鳴くこともない。 名前の由来…

草紅葉(くさもみじ)

遠くの山の紅葉は愛でるが、足元の草が紅葉しているのには気づかないもの。 こんな季語があるのはありがたい。 鍋の火のほろほろ立てり草紅葉 古舘曹人

籾(もみ)

刈った稲は藁ごと乾して脱穀をする。そして籾となる。これをまたむしろなどに乾して籾摺りを行う。そうしてできるのが玄米。それを精米して米となる。 手のかかる作業なのである。機械化したいまは工程が大幅に短縮されている。入れた俵もいまは紙袋。情緒が…

白粉花(おしろいばな)

おしろい花は田舎の庭に毎年のように咲いていた。何種類か花には色があったように思う。咲いているのもあり、すでに種になっているものもある。黒い種をつぶすと、白い乳液のようなものが出てくる。それを鼻すじなどに塗って遊ぶ。と言っても、女の子の遊び…

秋の夕焼(あきのゆうやけ)

夕焼けは夏の季語。しかし、夏の夕焼けにはない味わいが秋の夕焼けにはある。夏の夕焼けに比べて、たちまちのうちに暮れていく。その暮れていく様を味わう心の余裕と余裕がもたらす過剰さ。過剰さはあふれて、寂しさがやってくる。 造成地にビル建つまでの秋…

青蜜柑(あおみかん)

スーパーに行くと早くから黄色く色づいたミカンが出回っている。しかし、まだ完全に黄色くなっていない青みの残っているミカン。これはこれで捨てがたい。 最近のミカンは甘すぎるのではないだろうか、と思うことがある。路地もので、とってもいいよと言うの…

新松子(しんちぢり)

その年にできた、まだ青い松かさのこと。青松毬(あおまつかさ)という季語もある。松子を「ちぢり」と読める人は何人いるだろうか。俳句をやる人以外はたぶん知らないだろう。 また、この時期の松かさをどうして季語として珍重するのだろうか。多くの木の実…

銀杏(ぎんなん)

イチョウの実のこと。杏子の実に似ていることから銀杏と呼ばれるようになったとか。イチョウの木のなかでも実のなる木は少ないものの、道に銀杏が落ちていると独特のにおいがして、踏まないようによけて歩く。都心にもあり、少し迷惑に感じる。誰か拾う人も…

木守柿(きもりがき)

秋の風物として柿が好きだ。柿の紅葉がいい。深緑と赤の混じった、独特の色合いである。子どもの頃、柿の木にもよく登った。 柿の食べごろというにはまだ少し早い。だが、心待ちにしている気持ちもいい。 季語に木守柿というのがある。柿を収穫したあと、2個…

竹伐る(たけきる)

晩春から夏にかけて、筍に栄養をやるために竹は弱る。今の時期になると元気が出て、竹の伐り時なのだという。この話は初めて聞いたが、秋が竹の伐り時だというのは聞いたことがある。 尺八を習っていたことがある。尺八は真竹で、節の数も決まっている。だか…

栗飯(くりめし)

秋になると食べ物もおいしい。秋は炊き込みご飯の季節でもある。栗を炊きこんだ栗飯のほかに零余子(むかご)飯、松茸(まつたけ)飯など季語の世界でも炊き込みご飯が多い。 零余子など、へえそんな漢字なのかと改めて知る。自然薯や長芋の腋芽が養分を蓄え…