季語 日めくりエッセイ

木ノ内博道 俳句の季語に触発された日々の想い

春の虹(はるのにじ)

鮮明な虹と言えば夏の虹の思い出だろうか。小学校に上がる前に自宅の廊下からみた虹。片方の虹の脚が近くの田んぼにあり、駆けて行けば登れそうだった。しかし、それは、子ども特有のリアリティだったのかも知れない。
鮮明な虹の記憶はむしろ少なく、だいたいはぼんやりとした虹だった。霧のなかにかかる白虹、月明かりに浮かぶ月虹、二つの虹が同時に見えた時もあった。
下の句、春は命が躍動しており、まるで人間ではなく家畜の授乳のようですらある。
そういえば、妹が生まれて、乳が張るからと母から飲ませてもらったことがある。妹とは3歳違いだから、4歳前後の記憶である。絞った乳を茶碗に受けて、そのまだ体温の残る乳は別段おいしいものではなかった。
ほとばしる乳に噎せる子春の虹 小野とみえ