季語 日めくりエッセイ

木ノ内博道 俳句の季語に触発された日々の想い

芹(せり)

庭の畑のすみに井戸があった。水をくむことはもちろんあったが、そこに行って洗いものをすることも多かった。米を研ぐのもそこでやったのだろう。小学生の頃、学校から戻ると、井戸のところに白い研ぎ汁が流れていたものだった。そこに、芹も生えていた。
もう一つの芹の思い出は、家の裏の田んぼに芹が生えていたこと。冬の間は地面の続きだったものが、春先の何度かの雨で、水が溜まり、やがて緩やかに流れができる。
芹の香りは好ましいのに、なぜか韮(にら)の香りは嫌いだった。というより、嫌いに感じることがあったというべきか。なぜなら、好きだ嫌いだと言っている時代ではなかったから。
お弁当に、母が韮のてんぷらを入れてくれたことがあった。体調の加減か、その香りがよくなかった。帰ってきて、母にそのことを言ったら、母は珍しく笑っていた。弁当のおかずにあれこれ注文をつけたことはなかった。だから、嫌いなことでも、話題にしたことが嬉しかったのだろう。何気ない表情だが、私にも嫌いなものがあるんだという、大げさにいえば秘密の共有のあったことが、私の、記憶として残り続ける理由なのだろう。
芹を摘む淋しがりやに畦の道 廣瀬直人