季語 日めくりエッセイ

木ノ内博道 俳句の季語に触発された日々の想い

鳥総松(とぶさまつ)

門松を取り上げた際、私の田舎の方では門松に使った松の枝を門松の穴に入れておくと紹介したが、それが季語になっていて、鳥総松というのだそうだ。1月7日に門松を撤去するが松の枝をその後に残しておく。1月15日でそれも片づけてしまうが、私の記憶ではもっとそのままにしておいたように思う。で、その枝から根が出てきたように記憶している。なにか年神さまに関係する風習のようだ。

しかし、根の生えた松の枝をどうしたのか。大きな樹になったという記憶はない。

鳥総松女子理髪師に顔ゆだね 石川桂郎

飾臼(かざりうす)

餅を搗く臼はめでたいものだった。ないがしろにはしない。普段、使わない時も裏返しにして土間に置く。正月には注連縄を飾る。

下の句、そういう臼に鶏が飛び乗るというのだから、鶏は放し飼いなのだろう。完全放し飼いではなく夕方につかまえて鶏小屋に入れる場合もあった。隣に住む爺さんが、鶏をつかまえるのがうまかった。どうしたらそんなにうまくつかまえられるのか、聞いたことがあった。

後ろから近づいて、掌をそうっと腰のあたりに置くと鶏は雄鶏が載ってきたと思って静かにうずくまりつかまえられるという。やってみたがうまくいかない。小学校にも行っていない頃の思い出だが、不思議に覚えている。本当の話なのかほら話なのか、いまだに分からないからかも知れない。性的な感じがあったからかも知れない。

鶏のとびあがりたる飾臼 五十嵐渡河

太箸(ふとばし・たいばし)

太箸は正月に使う。雑煮箸ともいう。大晦日に、家族の名前を書いて神棚に供える。箸の中央が膨らんだ、はらみ箸は子孫繁栄を願うもの。俵箸ともいって五穀豊穣を願う。

家族そろって新年を祝う風習。気が付いてみたら太箸を買ってなくて、コンビニの弁当を買った時についてきた割り箸を転用。ちょっとさびしい。

太箸やまずは丹波の黒き豆 此口蓉子

去年今年(こぞことし)

否応なく新年を迎える。ひねくれて言えば、日にちは連続体であって、とくに新しい日を迎えたという実感はない。私だけの感慨かと思っていたが、下のような句を見つけて、おもわずニンマリしてしまった。

なまけものぶらさがり見る去年今年 有馬朗人

年の暮れ(としのくれ)

晦日というのはせわしないような何事もやることがないような、中途半端の1日である。大きな片付けものをやるには時間がない。どちらかというと家内の天下である。頼まれたことをやる。

思い切って、友人と飲みにいくのがいいのかも知れない。

下の句、わびしい年の暮れをよんでいる。正月の準備をする句よりもいい。

股引や膝から破れて年のくれ 馬仏

柚子湯(ゆずゆ)

柚子湯は冬至に入るものだが、庭に柚子の木があって、気が付いた時に風呂に柚子を入れてみる。寒い時期、風呂は文句なしにいい。

下の句、生涯の傷とはどんなものをいうのだろう。

生涯の傷をいたはる柚子湯かな 村山古郷