季語 日めくりエッセイ

木ノ内博道 俳句の季語に触発された日々の想い

木瓜の花(ぼけのはな)

この季節になって思い出すのは、生家にあった木瓜の木。毎年、真っ赤な花をつける。庭の南側で、日差しが暖かい。そんなひとつの思い出が契機になって、まだ若かった父母や子どもの頃の兄弟などが思い起こされる。
記憶に残る木瓜の赤い花から、季節とはなんだろう、人生とはなんだろう、といった日頃考えないことがよぎる。今日の朝日新聞佐伯一麦が先ごろ亡くなった古井由吉の追悼を寄せている。「古井由吉は、中上健次が亡くなった後に大江健三郎と行った対談で、小説家の死を、折れるように悲しむのではなく、粘り強く悲しみ続けるべき、と述べておられた。雨が降る、やむ。風が吹く、やむ。月が現れ、隠れる。そうした天象にふれるたびに、千年来の日本文学の辻に居続けた古井由吉の文学が想起され続ける」。
このようなものが季節であり、人生であり、時間というものなのだろう。
木瓜朱し生きてゐるわとひとりごち 竹市悠紗