季語 日めくりエッセイ

木ノ内博道 俳句の季語に触発された日々の想い

蓬(よもぎ)

モチグサというのが田舎での呼び方だった。どこにでも生えていて、ありふれた草だった。春にはこれを摘んで草餅を搗く。秋も深くなると枯れて、子どもたちはそれを掌で揉み、もぐさを作って遊んだ。いま考えてみると危ない火遊びだった。悪いことをするとおさえつけられ灸をすえられたものだ。私も手の甲、足の甲に灸の後がある。どんな理由で灸をすえられたのかはもう忘れてしまった。兄はへそのわきに灸のあとがあった。
下の句、昔は死んだ者たちは草葉の陰にいるものとされた。身近にいて生者を守ってくれるという信仰だ。柳田国男だったか、人が死ぬと仏教では極楽に行くようにと坊主がお経をあげるが、そこに集まった親類縁者はどうぞ近くにいて私たちを守ってほしいと祈る。仏教が入ってきて1000年以上にもなるのに、まだまだ庶民の気持ちのなかには、死んだら草葉の陰にいるものと考える。そのくらい庶民の気持ちは変わらないものだ、と言っていたように思う。
ちちははの魂あそぶ蓬かな 原裕