季語 日めくりエッセイ

木ノ内博道 俳句の季語に触発された日々の想い

百合(ゆり)

この季節になると子どものころ友人と誘い合わせて山百合を採りに行った。とくに山百合が好きなわけではないが、年寄りが喜んでくれる。そういうのが動機となる行動が田舎の子どもたちにはあった。
山に分け入って、一抱えもとってくる。咲いたものではなく、膨らんで明日には咲こうというものだ。
花屋に行くとさまざまな百合の花が店頭にあるが、やはり清楚な白百合がいい。
冬の山には、山百合の球根を採りに行ったものだ。
さて、さゆり、という表現がある。早苗や早乙女など穀物を寿ぐ言葉として「さ」があるが、こちらは小百合。「愛らしい」ほどの意味だろう。
そういえば、田舎の庭に鬼百合が咲く。なんとも似つかわしくない名前だ。花壇に咲いていたのか、道端に咲いていたのか。鬼百合は野草だったように思う。野草には蛇苺とか名前に「ふぐり」のついた雑草とか、わざと品を落とす名前が付けられている。
雨音をきく佗しさの百合蕾 高木晴子