季語 日めくりエッセイ

木ノ内博道 俳句の季語に触発された日々の想い

消炭(けしずみ)

熾していた炭を壺に入れてまた炭にしておく。炭の再利用。最近はバーベキューなどの際に使った炭をいったん消しておくが、昔は炭ではなく燠を消壺に入れておいたものだ。燃やしていたのは炭ではなく粗朶(そだ)。ご飯が炊けると燃えていた燠を十能ですくって、消壺に入れる。
最近は壺というのが死語になりつつある。むしろからだの「ツボ」の方がよく使う。あまりきれいではないが、4,50年前まで、駅のプラットホームには痰壺というのがあった。琺瑯引き(ホーローびき)の代物で、どうしてあんなものがあったのだろう。痰をその辺に吐くのは汚いし不衛生だ。そういえば、寒い季節になると痰はそこいらじゅうにあったものだ。
土間の一角に消壺があった。十能もよく使った。そうやって思いだしてみると、火吹き竹というのもあった。お勝手で火を使うのが当たり前の日常。井戸から水を汲んできたり。米のとぎ汁も畑のわきの溝に流れていく。そこに糸ミミズが湧いていたことも思いだす。ということは、畑の中にあった井戸のそばで米をといだのだろう。
蚕の繭の糸のように、子どもの頃を思いだす。消炭で火を燃やす。存在感のない、軽い炭を思いだす。
消炭の軽さをはさむ火箸かな 吉田三角