季語 日めくりエッセイ

木ノ内博道 俳句の季語に触発された日々の想い

茗荷の子(みょうがのこ)

茗荷を食べると物忘れになる、という言い伝えがある。仏教説話からで、自分の名前も忘れてしまう弟子がいた。そこで自分の名前を書いて背負って歩いた。弟子たちに物笑いにされたが、釈迦の教えに忠実で、悟りの域に達したという。死後、その弟子の墓に名の知れぬ草が生えた。茗荷と名付けたのは、その弟子にちなんで。弟子の物忘れが、俗説となったらしい。
生姜や茗荷が中国からもたされたさいに、香りの強い方を兄香(せのか)、弱い方を妹香(めのか)と呼んだ。それが生姜、茗荷となったとも言われている。
それはともかく、風味があって味噌汁などに使われる。我が家にもあるが、気が付くのは花の咲いた後。かたくて筋っぽい。調理に使えたものではない。
今年、まだ収穫には早いと承知のうえで、茗荷の木そのものを引き抜いた。まだ小さい茗荷の子が2、3ついていた。晩ご飯にと思い水に浮かべている。下の句はそういうときに出会った句。なんだか我が家をのぞかれているような気がした。
夕餉にと水に浮かせて茗荷の子 清海信子