季語 日めくりエッセイ

木ノ内博道 俳句の季語に触発された日々の想い

餅搗(もちつき)

田舎での餅つきと言えば12月27日だったか。まずもち米を蒸す。前日から水につけたりするから、母の仕事は前日から始まっている。幾臼も搗くから、かまど周辺は薪の山。お祭りのようだ。父が搗いて母が返しをやる。搗けたら母が臼から持ち上げて、臼にたたきつける。そして兄弟そろって延し台で板状にのばす。高校生になったころから私も搗くようになった。杵をおろしたあとクイとねじる。そのことによって餅から杵が離れやすくする。時々は杵を水につける。搗き始めのまだご飯のうちに勢いよく搗くとご飯粒が飛び散ってしまうので、しばらくはこねるようにする。そんなこんな、こまごまとしたことを思いだす。
というのも、姉のところから餅がとどいたからだ。もう何年になるか、この時期に送ってくれるので、正月の餅は買ったことがない。
今の餅つきは機械でやるようだ。板のようにのさないで角材のように、棒にして送ってくれる。まだ柔らかいので、それを切る。
お返しはなにがいいやら。そんなことを考えていたら、次のような句を見つけた。子どもの頃、近所とは米やしょうゆや、いろいろなものを貸し借りしたし、もらったりあげたりした。空で器を返しのは礼を逸するので必ずマッチをのせて返したものだ。
お返しは小燐寸一つ餅配 池田世津子