季語 日めくりエッセイ

木ノ内博道 俳句の季語に触発された日々の想い

トマト(とまと)

赤茄子ともいわれる。世界中どこにでもあり品種も多い。生食だけでなくジュース、ケチャップなどにも加工される。ハウス栽培が普及していまではトマトから季節を感じることは少なくなった。
子どもの頃は露地栽培が普通で、小学校の帰り道など、知らない畑からもいで食べたものである。手で拭いては食べたが噴霧した薬剤が残っていた。栄養剤のはずはないから殺虫剤なのだろう。そういうものに無頓着な時代だった。1個や2個を畑からとって食べても、悪いことをしている、という実感はなかった。赤く熟れたトマトはもう売り物ではなかったからだろうか。
トマトは放っておくといくつも芽が伸びる。一つを除いて芽を摘む。広い畑だと、子どもの頃けっこうな作業だった。
お茶の時間に、皮をむいたトマトに砂糖をかけて食べていた。砂糖をかけなくなったのは何時ごろからだろう。
トマトを掌に、みほとけのまへにちちははのまへに 種田山頭火