季語 日めくりエッセイ

木ノ内博道 俳句の季語に触発された日々の想い

小豆粥(あずきがゆ)

正月気分も過ぎるとかゆを食べる。7日は七草粥を食べる。15日に食べるのが小豆粥。これらに餅を入れて作るのが粥柱。小豆粥を食べるとその年の邪気を祓い疫病を祓うと言われている。

3が日にごちそうを食べて、胃が弱っているだろうから、という配慮だろうか。

15日は望の日でもあって、望粥ともいわれる。入れる小豆だが、その赤さのせいで、呪術的な意味がある。赤飯などとともに稲作文化の影響とも言われている。

何はさて妻に供ふる小豆粥 佐藤岳灯

寒造り(かんづくり)

温度管理がしやすい冬場は酒造りの季節である。以前、杜氏さんに聞いたことがあるが、麹の発酵を抑えられる冬場に酒を造ることによって、いい酒ができると。のびのびと発酵させずに、発酵したいところを苛め抜くといい酒になるのだとか。

寒いから雑菌が繁殖しにくいということもあるのだろう。農閑期で、農家の人が杜氏さんとして冬場働く、ということも。

下の句、土間のでこぼこは懐かしい。広い土間はでこぼこができる。削るのだが、またでこぼこになる。あれは不思議。

くらがりの土間のでこぼこ寒造 村上青史

手毬(てまり)

最近の手毬はついて遊ぶよりは飾の要素が強い。そういえば毬つきをしたのはいつだろう。

子どもの頃は里芋の茎を丸めて毬を作ったものだ。毬で思いだすのは、小学校にラグビーのボールが一個あった。最近ひょんなことから友人とその話になった。家の小学校にもあった、というから、文部省かなにか一律に決めたことなのだろう。で、話は人体模型に変わった。あれも授業で使った記憶はない。一律に決められたからあった、という感じだろう。

一昨年だったか、不気味なニュースがあった。人体模型の頭蓋骨が、調べてみたら人間のものだったという。手毬とは何の関係もないが。

いろごとの唄と知らずに手毬つく 小林樹巴

竹馬(たけうま)

正月は遊びの時間でもあった。コマや凧揚げ、カルタやすごろく、そして竹馬も。

子どもの頃、正月でもないのに兄弟で花札などをやっていると、野良から帰った親に「正月でもないのに」と叱られたものである。

前にも書いたが、叔父が竹職人で竹籠などを作っていたので、竹馬を作ってくれたりもした。背丈より高い竹馬に乗って隣の家まで散歩した。得意だったのだろう。短い竹で高くすると転んだ時など顎に竹が刺さる可能性があるので、それは親から酸っぱくなるほどいわれた。

たのまれて竹馬の子のポストまで 黒田杏子

書初(かきぞめ)

笑初とか泣初、箒初、掃初、読初、織初、縫初など、正月になって初めて行うことが季語になっている。初笑のように言い方が変わる場合もある。改まって行うことに意味があったようだ。

掃除などは元旦にはしないことになっていたので2日に行われる。書初めは元旦にやっていたようだが、現在は2日に行う。

私が子どもの頃は書初めの宿題が出て、学校が始まると教室に貼り出したものである。公民館で書初め大会などをやった記憶も朧げにある。

書初の墨流るるを早や吊りぬ 田村一翠

獅子舞(ししまい)

子どもの頃、リヤカーにいろいろなもの(楽器など)を積んで獅子舞の一団がやってきたものだ。正月ではなく暮れにきたこともあったと思う。庭先でひとしきり獅子舞をして、人の頭を噛む。ちいさい頃、それがほんとうに怖かった。幸い私は次男坊なので、強制されることはなかったが、兄はやらされていた。泣きもしなかったが、私だったら泣くだろうし夢にも見たかも知れない。そのくせ、何となく心浮き立ち、近所を廻るのについて行ったりもした。

この獅子舞、起源がよく分からないらしい。中国にも風習があるし、獅子はライオンのことで、インドから来たものらしい。日本には室町時代に伝わっている。

頭を噛むのは厄除けのほか無病息災、学業向上などご利益があるとされてきた。

獅子舞にぞろぞろついて村の子等 竹田 佳女

雑煮(ぞうに)

三が日毎朝神仏に供えて、それをわかち食べたのが雑煮だと言われている。地域や家によってさまざまな雑煮があり、一人一人、記憶にある雑煮のイメージも違うのだろう。

子どもの頃、我が家の方では、三が日は男が早く起きて作る。父と子どもたち。火を起こして餅を焼く。母も起きてこそ来ないが、寝床で心配しているのだろう。雑煮の材料は昨夜のうちに母が用意している。初日は緊張して早起きするが、3日目になると母が起きてきて準備をする。父も母もすでに無く、私たち兄弟も亡くなった父や母の年齢になりつつある。

子ら遠くふたりに雑煮余りけり 吉沢卯一