季語 日めくりエッセイ

木ノ内博道 俳句の季語に触発された日々の想い

手毬(てまり)

最近の手毬はついて遊ぶよりは飾の要素が強い。そういえば毬つきをしたのはいつだろう。

子どもの頃は里芋の茎を丸めて毬を作ったものだ。毬で思いだすのは、小学校にラグビーのボールが一個あった。最近ひょんなことから友人とその話になった。家の小学校にもあった、というから、文部省かなにか一律に決めたことなのだろう。で、話は人体模型に変わった。あれも授業で使った記憶はない。一律に決められたからあった、という感じだろう。

一昨年だったか、不気味なニュースがあった。人体模型の頭蓋骨が、調べてみたら人間のものだったという。手毬とは何の関係もないが。

いろごとの唄と知らずに手毬つく 小林樹巴