季語 日めくりエッセイ

木ノ内博道 俳句の季語に触発された日々の想い

2020-01-01から1年間の記事一覧

雪野(ゆきの)

関東で生まれ育っていると、雪野はそんなに実感のある景色ではない。しかし、あの何ものも隠して白一色。そうなると、一筋の川とか、景色が単純化される。 下の句、扇の景色のような味わいがある。 ワイパーの一掃き丸し雪景色 富樫風花

鼬(いたち)

子どもの頃、鼬がいた。と言っても「あっ鼬」という間にいなくなっている。一瞬庭を横切るだけ。ところが、鼬がやった、というような跡を見ることはよくあった。鶏小屋で鶏が死んでいたものである。 小学校に入るようになって、鼬のはく製を見た。胴長で、牙…

障子(しょうじ)

障子は冬の季語。もともとは光を取り入れ寒さをしのぐものだったので冬の季語になっているらしい。 庭に籠を伏せ、それを棒で支え、棒を糸で結わえて、その糸を障子越しに部屋のなかで握る。籠のなかには餌になるものを撒いておく。庭を見ながら小鳥が籠に入…

鰭酒(ひれざけ)

あぶった河豚の鰭に熱燗を注いだもの。蓋をして、その後火をつけてアルコールを飛ばした。焦げた鰭のせいか、酒が甘くなり、また熱燗のせいもあって身体が温まる。 鰭の代わりに刺身をひと切れ入れるのを身酒というらしいが味わったことがない。身酒も冬の季…

海鼠腸(このわた)

この季節、燗酒に海鼠腸はたまらない。ぬるま湯みたいな燗酒と言えば神楽坂の伊勢籐。40年も前、おばあちゃんが囲炉裏の前に小さく座って、燗酒の温度管理をしていて、なんども自分の耳たぶに指をあてて温度をみる。確かにいつも人肌燗で、温度も同じくらい…

セーター(せーたー)

昔の衣類はボタンがとれたり糸がほつれたりしたものだ。とくに子どもは相撲をとったり木に登ったり、衣類の破れには頓着しなかった。滑り台ではお尻が擦り切れた。 お年頃の女性の衣類でも同じだったろう。乱暴に衣類を扱わなくても穴があく。ちょうどブロー…

炬燵(こたつ)

子どもの頃は、朝起きるとトイレに行って、それから火を入れた炬燵にまたもぐりこむ。ご飯を炊いたあとの残り火で作った炬燵だから、布団も焼けるように熱い。 小言を言われながら家族全員で朝ご飯。父だけが胡坐で、後のみんなは正座。そういう一日の始まり…

凍瀧(いてだき)

凍瀧と同じような季語で冬の瀧というのもある。 高校生の頃か、冬に袋田の滝を見たことがあって、みごとに凍り付いていた。 いまはダムになってしまったが、竜神峡の沢歩きもした。冬は氷の上を歩く。今よりもずっと寒かったのだろう、立派に凍っていた。亀…

榾(ほだ)

子どもの頃、日常生活に火は欠かせないものだった。ご飯炊き、コタツ、いろり。薪割りなどもしたがそんな手をかけた燃料ではなく、拾ってきたものなど。子どもの頃、榾は比較的細い枝のことを言っていたが、大きなものでも榾というらしい。 榾、薪、焚き木な…

大根引く(だいこんひく)

収穫量も多く味もよいこの季節の大根収穫作業は冬の季語である。 忙しく農作業をしている人に道を聞くと、抜いた大根で道を教えてくれた。 貸農園が抽選で当たった。これから寒い時期に向かう。根ものを植えようと大根の種をまいた。芽が出てきたので、植え…

湯豆腐(ゆどうふ)

湯豆腐はあまり華やかなところで食べるものではない。ましてやひとり薄明かりのなかで食べているとなると、寂しさがひしひしと伝わってくる。いのちのはてのうすあかり。そうそう言えるものではない。 希望もなく、冷えたからだ、のど越しに熱いものが降りて…

枯野(かれの)

本格的な冬に向かうひと時、気がつくと野の雑草が一面に枯れている。その先に遠く灯りが見えるという句。なんだか人生そのものをうたっているようである。 近くにも灯りはある。しかし、それに心惹かれることはない。あの、遠くに見える灯りこそが自分の求め…

熱燗(あつかん)

熱燗の恋しい季節になった。熱燗で呑むには吟醸や純米などよりこしのしっかりした清酒の方がいい。冷で呑むにしても、こしの強い清酒が好きだ。 すぐ酔いが回ってしまうので家呑みはしない方だが、もししたとして、妻はどんな思いでそれを見ているのだろう。…

マフラー(まふらー)

そろそろマフラーの欲しくなる季節である。 自分でするのもいいが、玄関先で、愛する人に巻いてもらうのは至福だろう。寒くなってきたので少しきつめに巻くといった愛情以外に、軽い殺意を込めた巻き方もあるに違いない。人の心は複雑である。巻いてもらう人…

冬蜂(ふゆばち)

夏には元気がよく獰猛な感じの蜂も、いまはすっかり元気をなくしている。蜂に限らず、虫たちは死んでいくのか、越冬するのか。日の当たるところをのろのろと歩く。 子どもの頃、冬の縁側は楽しかった。鏡を持ち出して陽光を反射させて遊んだ。戸袋には弱った…

冬初め(ふゆはじめ)

秋というのはひとっとびで過ぎていく。気が付いてみたら冬が始まっている。しかし、厳しい冬を前にして穏やかな日がしばらく続く。この暖かさは、そんなにいつまでも続かないことを思うと貴重だ。 生きるのが大好き冬のはじめが春に似て 池田澄子

木の葉髪(このはがみ)

晩秋から初冬にかけて髪の毛がよく抜ける。この時期の枯れ葉にたとえて木の葉髪という。 もちろん季節だけのことではない。人生の季節とも関係している。そういう意味では、人生の秋を感じる季節でもあるのかも知れない。 産月の石鹸につく木の葉髪 鷹羽狩行…

霜降カマス(しもふりかます)

カマス、アマダイの味に似て旨いというが、子どもの頃自転車で売りに来た魚屋のカマスはあまりうまいと言えなかった。覚えている風景は、母と小学の頃の私。田で何かしていて、魚屋が来て家の方に上がり、求めたカマスを台所で焼き、冷や飯と一緒に食べた。…

案山子揚(かかしあげ)

稲刈りの終わった田んぼに案山子がいて驚くことがある。お年寄りに似せて、椅子に腰かけてうつむいた案山子を見ると、思わず笑ってしまったり。 案山子揚は、陰暦十月十日に長野県や山梨県などで行われる行事。案山子はもともと山から降りてきた田の神と考え…

竹瓮(たっぺ)

寒くなってくると川魚も活動が鈍くなる。沈んだ枯れ葉のうえを魚がゆっくり泳ぐ。川底に竹瓮を沈めてその魚を捕る。竹を編んで、一方から入った魚が出られなくなる仕組み。地域で呼び名が異なり、私の地域(茨城)ではズーケと言った。鮒を主にとるが、エビ…

八手(やつで)

八つの切込みのある大きな葉で、見た目に分かりやすい。田舎の家には、裏庭の便所の近くにあった。日陰に強い植物である。 子どもの頃は天狗の団扇のようにして遊んだものである。たしか八つ手の別名は天狗の団扇だった。そんな葉っぱで遊んでいると、今度は…

柊(ひいらぎ)

お茶の花や柊の花が好きだ。誰かのために咲いているというような感じがない。 柊には葉に棘がある。それで邪気を払うという考えがあって、武将の家紋にも使われているし、城に植えられたりもしている。 我が家の庭にあるレモンやゆずに比べたら、葉の棘など…

熊手(くまで)

子どもの頃、竹製の熊手で落ち葉を集めたものだ。集めた落葉で芋を焼いたり。近頃は金属製やプラスチックの熊手があったりする。情緒という意味では、竹製がいい。 熊手、いまや商売繁盛の象徴のように使われる。酉の市には豪華な熊手が並ぶ。 熊手売る冥途…

零余子飯(むかごめし)

滋味と形容すべきか。とくにうまいというのではないが、うん、こうした味わい方もあった、と思いだすような味覚である。ほんのりとかおりたつ炊き立てご飯。 塩ゆでにしたり揚げ物で食べることもあるが、やはり炊き込みが味わい深い。 珍客に咄嗟の妻が零余…

瓢(ひさご)

ひさごという呑み屋が多い。考えてみれば瓢箪のことだった。瓢箪の中身を腐らせて、酒を入れたことからそうした名前を付けたのだろう。 さすがに現在は入れ物として使うことはなくなった。土産物屋で観賞用に作ったものを売っている。 それにしても、形が面…

芋の露(いものつゆ)

里芋の葉にたまった露が揺れる。2つになったり、2つが大きい1つの玉になったり。日に輝く芋の葉の露は見ていても飽きないものだ。 自然がひととき、宝石のような玉をつくる。そういえば、芋名月という季語もあった。 いくばくの余生や芋の露享けて 原俊子

尾花蛸(おばなだこ)

蛸は春から夏にかけて産卵をするので、晩秋の蛸は味が落ちると言われている。食べ物の旬や、あるいはそのシーズンには食べるのを避けた方がよいという場合に、身近なものと例えて表す言い方が昔は多かった。尾花は芒の花。動物の尾に似ているから尾花と言わ…

身にしむ(みにしむ)

晩秋になると風も冷たい。それが骨身にしみる。骨身にしみると、寂寥感が漂う。寂寥感がこの季節の味わいなのかと思う。今は亡き人をしきりに思い起こすこともあるだろう。 身にしみて大根からし秋の風 芭蕉

高きに登る(たかきにのぼる)

重陽の節句は9月9日。旧暦の9月9日は、今年は今日10月25日。 この日、中国では災厄をまぬがれるため高いところにのぼる習俗があったという。それを真似て、日本でも丘や高台にのぼる習わしがあったらしい。古い季語にこの「高台に登る」がある。 どうしてこ…

紅葉狩り(もみじがり)

紅葉については何度かここで取り上げてきた。しかし、どうして紅葉を「狩る」というのだろう。もともとは動物に対していわれていた。それがブドウ狩りなど植物に対しても使われるようになった。さらには景色を愛でることにも使われるようになった、らしい。…