季語 日めくりエッセイ

木ノ内博道 俳句の季語に触発された日々の想い

2020-01-01から1年間の記事一覧

椎の実(しいのみ)

ドングリより小粒でやや細長い。普通のドングリと違って食べられる。と書いたが、ドングリと椎の実の違いが、どうもよく分からない。 田舎の我が家の裏庭に椎の木があって、秋になると椎の実が落ちた。子どもの頃それを拾って食べた記憶がある。しかし、それ…

根釣り(ねづり)

気温が下がってくると川や海の水温も下がってくる。晩秋には根釣りという季語がある。根は岩根のことで、岩礁に潜む魚をじっくり待って釣る。 スポーツのように岩場を歩いて釣りをする渓流もいいが、時間をかけて竿を降ろすのも味わい深い。冬にはさらに水深…

爽やか(さわやか)

爽やかな人、などと言う場合は季語ではないが、季節的な爽やかさは秋の季語である。冷ややかも秋の季語。 宮沢賢治の詩に「颯爽」という言葉があって、昔読めなかったものだ。「生徒諸君に寄せる」という詩の冒頭、「諸君はこの颯爽たる諸君の未来圏から吹い…

野菊(のぎく)

野菊という種類の草花があるのかと思っていたが、菊に似ている雑草のことだという。 私は市川と松戸の市境に住んでいて、松戸市の江戸川に矢切の渡しという渡し舟がある。その近くに、小説「野菊の花」の舞台になった景色が広がる。小説の題名にもなった野菊…

夜なべ(よなべ)

夜が長くなると昼間できなかった仕事の続きを夜する。子どもの頃、夕食がすむと父と母が土間で藁をすぐり俵などを編んだ。茨城では納豆を入れるつつこという藁の束も作った。内職である。 夜を延べるので夜なべと言ったとか、夜食を食べる夜鍋からきたとかの…

自然薯(じねんじょ)

もう数十年前、富士山麓で暮らす友人のところに自然薯掘りに行ったことがある。今頃の季節か。自然薯の紅葉を目当てに探す。だから、落葉してしまうと探せない。根本の1メートル手前くらいから掘っていって、自然薯が折れないように大事に大事に掘る。石など…

菊人形(きくにんぎょう)

少し前に菊を秋の季語として取り上げた。子どもの頃、菊人形を家族で見に行った話も書いた。それにしても、菊の花で衣装を模し、狂言や世相を写し出して見世物にする、その趣味はいかにも現代離れしている。 いまでも菊人形展は開かれているのだろうか。やっ…

山椒の実(さんせうのみ)

秋はいろいろな木に実がなる。目立たないが山椒にも実がなった。ところで、山椒はさんしょかさんしょうか。 我が家の庭には棘のある木が多い。れもん、柚子、薔薇、そして山椒。そうだぐみの木にも長い棘があった。庭の手入れをすると必ずと言っていいほど怪…

南天の実(なんてんのみ)

昨日のピラサンカで思いだすのは南天の実。これも秋の季語である。田舎の我が家にもあった。父が白南天は珍しいんだぞ、と何回も言っていた。南天の実は鳥が食べるのだろう。今の我が家の庭に芽吹いたこともある。草と一緒に抜いてしまったのか、いまはない…

ピラカンサ(ぴらかんさ)

語感が面白い。子どもの頃、庭に赤い実がなっていたのは知っていたが、名前を知らなかった。 娘が小学生の頃だろうか。庭に小鳥が来るのを喜んでいた。鳥の名前もよく知っていた。小鳥のエサになるようなものを庭に置いたりもした。それで庭にピラカンサを植…

菊(きく)

秋と言えば菊か。秋には菊に関する季語も多い。 春の桜と並び称される菊だが、園芸用に立派に栽培がされる以外、あまり話題にならないようだ。墓前にそえる花として定着してしまったからだろうか。 個人的には野に咲くような菊が好きだが。茨城生まれの私は…

玉蜀黍(とうもろこし)

トウモロコシは秋の季語だった。スーパーなどでは早くから出ているから、夏の季語かと思っていた。「玉蜀黍の花」は夏の季語だが。それにしても、トウモロコシは先端に花をつけて、トウモロコシの実のところで受精する。毛と見間違う糸は中の一粒一粒とつな…

竈馬(かまどうま)

そういえば秋の季語に虫が多い。しかし紹介するには時期すでに遅し、というところか。寒くなってからも見かけるのが竈馬。昔はコウロギと混同されていたようで、竈馬が鳴くような俳句もあったようだ。しかし、羽がないわけだから鳴くこともない。 名前の由来…

草紅葉(くさもみじ)

遠くの山の紅葉は愛でるが、足元の草が紅葉しているのには気づかないもの。 こんな季語があるのはありがたい。 鍋の火のほろほろ立てり草紅葉 古舘曹人

籾(もみ)

刈った稲は藁ごと乾して脱穀をする。そして籾となる。これをまたむしろなどに乾して籾摺りを行う。そうしてできるのが玄米。それを精米して米となる。 手のかかる作業なのである。機械化したいまは工程が大幅に短縮されている。入れた俵もいまは紙袋。情緒が…

白粉花(おしろいばな)

おしろい花は田舎の庭に毎年のように咲いていた。何種類か花には色があったように思う。咲いているのもあり、すでに種になっているものもある。黒い種をつぶすと、白い乳液のようなものが出てくる。それを鼻すじなどに塗って遊ぶ。と言っても、女の子の遊び…

秋の夕焼(あきのゆうやけ)

夕焼けは夏の季語。しかし、夏の夕焼けにはない味わいが秋の夕焼けにはある。夏の夕焼けに比べて、たちまちのうちに暮れていく。その暮れていく様を味わう心の余裕と余裕がもたらす過剰さ。過剰さはあふれて、寂しさがやってくる。 造成地にビル建つまでの秋…

青蜜柑(あおみかん)

スーパーに行くと早くから黄色く色づいたミカンが出回っている。しかし、まだ完全に黄色くなっていない青みの残っているミカン。これはこれで捨てがたい。 最近のミカンは甘すぎるのではないだろうか、と思うことがある。路地もので、とってもいいよと言うの…

新松子(しんちぢり)

その年にできた、まだ青い松かさのこと。青松毬(あおまつかさ)という季語もある。松子を「ちぢり」と読める人は何人いるだろうか。俳句をやる人以外はたぶん知らないだろう。 また、この時期の松かさをどうして季語として珍重するのだろうか。多くの木の実…

銀杏(ぎんなん)

イチョウの実のこと。杏子の実に似ていることから銀杏と呼ばれるようになったとか。イチョウの木のなかでも実のなる木は少ないものの、道に銀杏が落ちていると独特のにおいがして、踏まないようによけて歩く。都心にもあり、少し迷惑に感じる。誰か拾う人も…

木守柿(きもりがき)

秋の風物として柿が好きだ。柿の紅葉がいい。深緑と赤の混じった、独特の色合いである。子どもの頃、柿の木にもよく登った。 柿の食べごろというにはまだ少し早い。だが、心待ちにしている気持ちもいい。 季語に木守柿というのがある。柿を収穫したあと、2個…

竹伐る(たけきる)

晩春から夏にかけて、筍に栄養をやるために竹は弱る。今の時期になると元気が出て、竹の伐り時なのだという。この話は初めて聞いたが、秋が竹の伐り時だというのは聞いたことがある。 尺八を習っていたことがある。尺八は真竹で、節の数も決まっている。だか…

栗飯(くりめし)

秋になると食べ物もおいしい。秋は炊き込みご飯の季節でもある。栗を炊きこんだ栗飯のほかに零余子(むかご)飯、松茸(まつたけ)飯など季語の世界でも炊き込みご飯が多い。 零余子など、へえそんな漢字なのかと改めて知る。自然薯や長芋の腋芽が養分を蓄え…

赤い羽根(あかいはね)

毎年10月に赤い羽根募金が始まる。そのため秋の季語となっている。1日に、駅前に子どもたちが並んで、大きな声を上げている。そんな時期がきたのかと、その声で気がついたりする。テレビで、政治家がつけていて思いだしたりもする。 第2次世界大戦後に始まっ…

数珠玉(じゅずだま)

数珠と言えば珠に糸を通して輪にした法具だが、数珠玉は植物。実に糸を通して数珠のように遊んだ。祖母に、お手玉のなかに入れて作ってもらった記憶もある。 芒のように株になっていて湿地が好きそうな植物で、調べてみたらイネ科の植物だった。子どもの頃は…

烏瓜(からすうり)

まだ瓜とつく植物があった。日頃食することのない烏瓜。苦みがあってカラスくらいしか食べないということから「カラス瓜」と名付けられたとか。また、食べない瓜だから「枯らす瓜」とつけられたなどの説もある。 「烏瓜の花」は夏の季語、「烏瓜」は秋の季語…

芒(すすき)

芒に関する季語もいろいろと多い。芒の花穂が開くと動物のしっぽのようで「尾花」とも呼ばれる。芒の群れが風になびくさまは風情がある。月にもあうし、秋の空にもあう。 今では使わなくなったが、屋根を葺くカヤにも使われた。子どもの頃、我が家のたい肥小…

糸瓜(へちま・いとうり)

いろいろな瓜があると先日書いたが、糸瓜を忘れていた。妙に長い糸瓜。「いとうり」がなまって「と瓜」になったそうだ。それで「と」は『いろは歌』の「へ」と「ち」の間にあることから「へちま」になったんだとか。 へちまタワシは有名である。子どもの頃、…

薄紅葉(うすもみじ)

家のなかで、日差しがこれまでは入らなかったところまで届くようになった。日の入りが早くなりつつある。草が穂をつけるようになった。季節が大カーブを曲がるように、変化していっている。 うっすらと紅葉しかかったものを薄紅葉という。初紅葉という季語も…

衣被(きぬかつぎ)

この季節にしか出回らない、小ぶりの里いもを皮のまま茹でて、塩をつけて食べる。日本酒にあう。「きぬかずき」が転じたものだという。きぬかずきは平安時代の身分の高い女性が被ったもの。「きぬかつぎ」はそんな気取ったものではないが、なぜか次々とあと…